【9/23-10/5】Exhibition_如常(にょじょう)/As Usual.ー いつも通りであり_ 杜品儀(トゥーインピー)/Tu Pin Yi
【アーティスト・ステートメント】
私は時間と老化の間の日常的な関係を捉えようとしています。
日常の中には、壊れた時に初めて注目されるものもあります。
1つの非常口のサイン、錆びついた乗船口、そして認知症で外の世界との繋がりを失った老人(例えば私の祖父のような)。日常の時間が過ぎるにつれて、老化が顕在化します。「永遠不変」という錯覚が空間に持ち込まれ、展示空間では「老化」こそが不変なものとなります。
時間が物に残す痕跡はあまりにも微細で、積み重なるまで気づかれず、「新しい状態」として不意に現れます。そして、その老化した異常が新たな日常となります。
この作品は、日常を支えるものの小さな細部の失敗や老化を撮影しています。日常の出来事、物、人々、彼らは当然のように存在し、私たちの日常生活を支えています。ある日、彼らの「異常」が観る者の日常となるまで。
私は、二つの映像が向かい合う双方向ビデオスペースを設計しました。一方は波の映像を投影し、もう一方は外の世界の出来事を理解できないほど老いた老人を映します。二つの時間が空間の中で向かい合い、波は地球の回転に合わせて止まることなく進み、老人の思考は病気によって閉じ込められ、前に進むことも外の時間に応答することもできません。
波に囲まれた錆びついた乗船口は、騒がしい音を発し、波に応答し、まるで呼吸のリズムのようです。そして、老人は親族に囲まれながらも、もう対話のループに入ることはできません。彼らは、必要とされるシーンに現れ、日常を支える役割を果たそうと必死です。しかし、外の世界の日常に適応することが観る者にとっては非常に困難に見えるのです。私は、彼らが懸命に日常を保とうとしている姿を撮影しました。
投影されていない側には、接触不良で点滅する非常口のサインが置かれています。彼らは異常を示していますが、それでもなお、自分の仕事を全うしようとしています。灯りが消える前に、私たちに必要な力となるよう努めています。